お金は目的ではなく手段

「あ~あ、ロトでも当たんないかなあ・・・。」

居酒屋などでよく聞くセリフです。

しかしこういう人に「何のために、幾らくらいお金が欲しいのか?」と訊ねると、意外と口ごもる人が多いものです。

これは本気でお金を求めていない証拠で、もし本当にお金が必要な人手であれば「家賃を払いたいから○日までに8万円欲しい」とか「ブガッティ・ヴェイロンが欲しいから1億円必要だ」などと具体的に答えるものです。

ここで冒頭のつぶやきに戻ると、何をしたいかが明確でないので、これはお金が目的になっている発言です。

しかし本来お金というのは、物々交換をスムーズに行うために考案された手段です。

農作物と洋服、ワインとコンピューター、スマホと牛肉。

もし世の中にお金が考案されていなかったら、こういう物を持ち寄って交換したい人を探さねばなりません。

ダイコン10本、ネギ100本とアルバローザのワンピースを交換しませんか?
下町のナポレオン50本とレノボのPCを交換しませんか?

こういう取引をするしかなく、双方の希望をマッチさせるのは至難のワザです。

この問題を解決したのが「お金」で、お金は牛肉や野菜と違って腐らないから保管出来るし、自分が生産した物を、人々の共通の価値を持つお金に換え、それを交換すれば、お互いが欲しいものをマッチさせる必要もなくなります。

このようにお金とは、大変便利な手段・ツールなのです。

となると手段・ツールであるお金をひたすら求めるというのは少しヘンな話で、お金とは、それを使ってやりたいこと、欲しいものがあってこその物なのです。

だからお金という手段・ツールのために命を落とすとか、法を犯すというのは本当は本末転倒な話で、その先に何をしたいかをじっくり考えることが出来れば、もしかしたら他の手段で、それを実現できたかもしれません。

なのでもしお金が欲しい、とふと思ったら「アレ、どうしてお金が欲しいんだっけ?何をしたいんだっけ?」と、もう一歩踏み込んで考えてみると、意外な方向からその願望が実現するかもしれません。