ASKA容疑者逮捕に思う「器」

今(2014年5月)はどこのニュースやワイドショーでも、CHAGE and ASKAの飛鳥涼こと、宮崎重明氏逮捕の話題で持ちきりです。

これは覚せい剤というのは本当に怖いと改めて思い知るような事件ですが、どうしても有名人、ことに収入の多い芸能人にはこうした魔の手が忍び寄りがちなのでしょうか。

私はとあるお金持ちの元で仕事をしていたこともあり、社長のそばに集う色々な人を見てきました。

そしてよく「器が大きい」とか「器じゃない」なんていう言い方がありますが、これはお金にもかなり当てはまる話で、要は入ってくるお金に見合う器があるかどうか?というのは、非常にその人の幸福度を左右する問題ではないかと思うのです。

統計的に所得が年間1500万円を超えるくらいからが、今回のASAKA容疑者のように、あまり好ましくない人々が近づいてくる分岐点と言われています。

年間1500万円ということは、大体1ヶ月に使えるお金が100万円くらい。

これを超えてくるころから、お金のもたらす負の側面に悩まされるようになるというのです。

それはなぜかと考えてみると、大抵、庶民だった人が大きなお金を使えるようになると、まず身なりを高級に整えだして、高級なお店に出入りしたり、腕時計やジュエリーに凝ったり、高級車に乗ったり、旅行に行ったりと「私、お金持ってますよ」と周りに吹聴する(本人にその気はなくても)ような行動を、どうしても取ってしまいがちなわけです。

確かに「これまで一生懸命頑張ったのだから、このくらい良いだろう」そんな気持ちになるのが人情というものです。

しかしそうしたお金の匂いに特に敏感なのが、前述のようなあまり好ましくない方々・・・それは薬物であったり、異性問題であったり、詐欺であったり色々ですが、どこからともなく現れて(大抵初めは友好的なムードで)、いつの間にか彼らの企てに嵌ってしまうわけです。

彼らの目的はほとんどの場合「お金」なので、目をつけられたくなければ、お金の匂いをまき散らかさないよう、地味に暮らすのが一番なのですが、生まれて初めてお金持ちになって絶好調な人、または全国的に顔が知られた有名人というのは、それが難しいのです。

かくして多くの「新人お金持ち」の方たちが、少なくとも一度はお金にまつわる不快な経験をされるはめになるのですが、そうしたお金の負の力も体験した上で振り返ってみると、売れるかどうか、成功するかどうかも分からずガムシャラにやってた頃が、結局一番楽しかった、充実していた、というのは割とよく聞く話です(まあそれも成功したからこその話ですが・・・)。

そうしてみると、いま取調べを受けている彼も、まだ若くてお金も名声もなく、相棒と二人ガムシャラだった頃を振り返っているのだろうか、とそんなことをつい思ってしまいます。

しかし彼の相棒であるCHAGE氏を見ても分かるとおり、成功をおさめ大金を手にするようになった人全員が、警察のお世話になるようなトラブルに見舞われるわけでもありません。

ではその分かれ道を左右するのは何だろう?と考えてみると、それこそが個人の資質、「器」なのではないでしょうか。

もっと言うと、変化や誘惑に動じない肝っ玉があるかどうか、様々な不安に正面から向き合えるか、というようなことかもしれません。

さらに面白いことに、これまで色々なお金持ちを観察してきた限り、その「器」というのは学歴等はほとんど関係なく、東大卒のエリートが刑務所のお世話になる一方で、中卒・高卒でたたき上げの社長さんが、しっかり事業基盤を築き、立派な後継者を得て優雅な隠居生活、ということも珍しくありません。

「器」とは本当に不思議なものです。